★グッドタブ・マネージメント社
ウィンコープは1945年の設立、以前はハリウッド・パーク競馬場で繋駕競走(2輪馬車を引かせて行う競馬)を開催していました。
そしてカリフォルニアに新しい競馬場をつくるための広大な用地を確保していました。
しかし、その周辺は次第に商業目的の開発が進んだため、ウィンコープは作戦を変更、競馬場の代わりに巨大ショッピング・モールを建設したのです。
引き続いて125工ーカーのビジネス・パークを開発し、モールから道路を隔てた反対側に620戸の庭つきアパートを建てましたが、それでもまだ40エーカー以上の遊休地が残っていました。
「私が動き出した1982年、ウィンコープは競馬会社から不動産業へとゆっくり変身を遂げつつあった。
競馬会社にはもちろん関心はなかった。
だが公開された株価の実勢は同社の不動産の評価額に比べて安すぎた。
ということは、またとない買収のチャンスだった」と言うわけです。
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取引の秘訣は、正しく買うことだと彼は言っていたそうです。
「上昇の可能性についてもじっくり調べるが、下降する危険性についてはその10倍の時間をかける。
正しく買っていれば、最悪の事態になっても無傷で抜け出られるか、そこそこの利益を上げることができる。
だから攻撃的に動ける。
デンバーを買った当時は不況で高金利。
決ていい状況ではなかったが、我々は正しく買っていたから、利益を出せた」
勝つ方法が見つかったら、それをやり抜くこと。
1982年、グッドマンは再び戦いを挑みました。
今度の標的はウィンコープ・リアルティ・インベストメントでした。
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銀行に紹介されたのはバンクーバーのベルツバーグ一族が牛耳る投資会社ファースト・シティ・フィナンシャルでした。
グッドマンはベルツバーグ一家と合弁会社を設立、80年11月、一株当たり37ドル15セントで発行済み株式をそっくり買い取ろうという公開入札に乗り出しました。
「最初の数週間で82パーセントを獲得し、それから90日間で残りの株すべてを買い集めた」
が、この買収に要した費用は4200万ドル、ほかに4000万ドル相当の抵当の肩代わりが必要だでした。
莫大な金額です。
それに銀行からの借り入れ利率は20パーセントを超していました。
しかし、グッドマンは2年半でデンバーの資産をすべて転売し、借金を返しても相当の利益を残すことができました。
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グッドマンはロサンゼルスに戻ると、進行中のプロジェクトをすべて売り払ってしまいました。
大変な決断でした。
上場しているREITの株価に注目し、買収を通じて支配権を握ろうと考えたのです。
そうしているうちに巡りあったのがデンバー・リアル・エステートでした。
ホテルやショッピングセンター、マンションなど20数件の資産を運用している会社です。
グッドマンはカナダの取引先の銀行に出向き、買収資金調達で協力を求めました。
すでに一株14から16ドルで同社の発行済み株式の4パーセントを手に入れていましたが、会社ごと買い取るためには有力なパートナーが必要でした。
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成功に次ぐ成功で、「失敗するはずがない」と思いだしたころ、不動産での失敗が始まったそうです。
しかしグッドマンは、こりるどころか、ますます闘志を燃やしました。
そのとき目についたのが、REIT(不動産投資信託)に関する雑誌記事だ。
「REITなんて、聞いたこともなかった。
すぐに雑誌社に連絡して、REITの専門家を紹介してもらった」。
そのとき会ったのがケン・キャンベルでした。
彼は『リアルティ・ストック・レビュー』なるニューズレターの発行人でした。
REITは不動産というより株式投資に近い。
確実だし、妙な土地をつかまされたりする心配もない「きれいな」ビジネスでした。
株式を公開しているREITも多い、そういうところの株に投資すればいい・・・。
グッドマンは株を公開しているREIT200社のリストを手に、キャンベルの事務所を後にしました。
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70年代後半、グッドマンは商品先物にも手を出して大儲けしています。
金と銅、それに英国ポンドの先物取引でした。
「当時、金は1オンス150から200ドルで売買されていた。
値の変動が小さいときは、簡単に利益が出る。
しかし一日に50ドルも値が動き始めると、今度はリスクが大きくなりすぎる。
だから手を引いた。
その後の急騰は読めなかったが、深入りし過ぎて損しなかったのだから幸運だと思わなければ」
先物取引と不動産で、彼はこの一年で100万ドルを手にしました。
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ロバート・グッドマンは売り主でも買い主でもない仲介業、取引する土地に何の権利も持てないブローカーでは物足りませんでした。
「当然成立してもよい取引が途中で放り出捌されてしまう例が多すぎた。
だから25歳のとき、独立してアメリカに行く決心をした。
もっとアグレッシブで魅力的な市場があり、チャンスも多いはずだったから」です。
グッドマンは妻と2人でアメリカの西海岸を見て歩き、ロサンゼルスに居を定めました。
最も将来性のある市場はここだ、と信じたのでした。
予測は当りました。
タイミングも良かった。
70年代後半の急激なインフレで地価は急上昇し始めていました。
だからこそグッドマンは、次々にオフィスビル建設用地を買いあさり、建てるそばから売り払っていったそうです。
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ロバート・グッドマンが19歳のときでした。
「初めて父の会社に出勤した日、こう言われたそうです。
これから一年は、人と会うときは必ずお前を連れて行く。
うちのトップ・セールスマンもつけて出す。
だが口をきくな。
話を聞け。
顔の表情をよく観察して、人間を知ることに時間をかけろ。
それがビジネスの基本だ」と。
そして一年間、グッドマンは週給100ドルをもらいながら、父の教えを守りました。
「一年目の年収は5000ドル。
だが20歳になると、父は独り立ちしろと言った。
サラリーはなし、手数料だけというわけだ。
その年、手数料で49万ドル、実質24万5000ドル稼いだ。
その先は前進あるのみさ」しかし彼はブローカーで終わる気はなかったのです。
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★ロバート・グッドマン
ビジネスの基本とは、人間を知ることだといいます。
不動産業界で独り立ちすること。
それがずっと夢だったロバート・グッドマン。
父親が不動産ブローカーで、小さいころ父の車に乗って開発中のプロジェクトを見て回ったのがきっかけで、彼は高校時代から、この商売の将来性を見抜いていたそうです。
大学に入ったものの「不動産ビジネスについて学ぶものがない」と見るや、さっさと退学、父親の会社のあるトロント(カナダ)に戻ってしまいました。