知人は、ゴルフをやめたあとの運動不足は、その二、三年前からジコギングをはじめていたので、それを毎朝強化するだけでよかったそうです。


問題は煙草と酒です。


もともと煙草は肺癌もさることながら、百害あって一利なしとおもっていたので、禁煙できれば禁煙したいと考えていました。


それに禁煙については家族も大賛成だった。


家では女房、娘はもちろん息子も煙草を吸わないので、知人の喫煙にたいしては総スカンです。


畳やジュウタンに焼け焦げができるの、やれ家中がヤニで黄色くなるなど、ことあるごとにイチャモンをつけられていました。


したがって知人が禁煙もしようかな、ともちだしたときにはゴルフや麻雀放棄、小説書きには冷淡だった家族も一も二もなく賛成したそうです。


これほど家族が協力的であり、積極的に賛成を示したのは、後にも先にもこの時だけだったそうです。

知人は、ウイークデーは毎晩遅いのでペンをもつ時間がありませんでした。


週末はすでに週休二日制だったが、土曜日はだいたいゴルフにいくので、日曜日しかない。


その日曜日も家族サービスや運転手代わりに女房の買い物につきあわされて、つぶれることが多かった。


いっぽう2、3ヵ月もすると、だんだん小説書ぎのほうがおもしろくなる。


〈なんとか時間が欲しい〉そこで考えたのが、生活を変えることでした。


なにかをやめることではなく、すべてを変えることだった。


まさか会社勤めをやめることはできなかったが、それ以外はすべて変えようと試みました。


酒も煙草も、麻雀もゴルフも、すべてやめようとチャレンジした。


麻雀とゴルフはもともとあまり熱心じゃなかったので、すこし仲間にすまない気持ちがしただけで、すんなりやめられた。


夜の宴会やつきあいも、やむをえないものだけに限定し、すくなくともこちらからは誘わないことにすると、たちどころに半減したそうです。

作品を発表する機会や方法についてはぜんぜんあてがありませんでした。


また創作学校や作家に弟子入りすることも考えませんでした。


ただ神田の古本屋までいって、あちこちの書店で50冊ちかい小説作法や入門書を買い集めて、それを二回ずつ精読した。


それでも小説の書き方はよくわからなかったが、あとは実地で、書きながら勉強するほかはないとわりきり、執筆にとりかかった。


第一作は〈巨影落つ〉という題で、ある大手総合商社の崩壊していく過程をシミュレーション的に書いた。


テーマが大きすぎたので書き上げたときには千三百枚だったが、小説的な価値は別にして、内容はわりあいうまくまとまった。


後日、出版社にいる高校時代の友人に見せたが比較的好評だった。


このテーマと題名は気に入っているので、いずれ機会をみて書き直したいと思っています。


この小説は結局一年間かかったが、書ぎだしてみてすぐ突き当たったのは執筆時間だった。

組織でゴチゴチの会社に30年以上も勤めていれば、充分です。


〈小説を書いてみようかな〉文学的才能については、すでに小学校時代に綴り方教育の権威から、ダメを押されていたので、自信はなかったが、ものを書くことには抵抗はなかった。


〈材料さえ良ければ、なんとかなるだろう〉書くとすれば経済小説しかなかったし、その材料は周りにいっぱいありました。


知人は定年までの10年間に、とにかく400字詰め原稿用紙で一万枚習作することにした。


石油ショック後日本経済が不況に陥ってから2年経っていました。


〈もう再び高度成長時代はこないんじゃないか〉いままでは仕事が生き甲斐だったし、その時やらされていた罰ゲームにしても、いずれ債権回収がおわれば、正業に復帰できると期待していました。


〈もしこのまま低成長がつづけば〉もはや仕事を生き甲斐にできなくなる。


〈これはなにか仕事にかわる生き甲斐を見つけにゃならんぞ〉まだ定年まで10年ちかくあるうえ、人生70年としてみても、死ぬまで20年以上もある。


この間をどうつないでいくか。


そのうえ定退後の第二の人生は、できればサラリーマンをやりたくはなかった。


もう宮仕えはこりごりだったのです。

午前中は宿酔で頭が重く、昼も食欲がなくてソバ一杯。


そして、日が暮れて巷に赤い灯、青い灯がともり、三味線の音でも聞こえてくると、シャンとする。


あれでよく肝臓をこわさなかったとおもうくらい、毎晩飲んでいた。


ところが神様はよくしたもので、齢もそろそろ五十にちかく、肝機能も衰えかけてきたときに高度成長がおわりました。


交際費はガクンと削られ、そのうえ不況倒産の後始末という罰ゲームで債権回収係にまわされたので、社用で飲む機会は皆無になりました。


なんだかホッとした気分だったが、それでも仲間と飲んだり、早く帰れば家で晩酌したりして、あとはテレビで、結構遅くまで起きていました。

人間には夜型と朝型があるそうで、知人は朝型です。


夜型は低血圧の人に多く、夜はいつまでも元気だが、朝は早起きがにがてで午前中はエンジンがかからない。


逆に朝型は早朝からジョギングしたり、仕事のとりかかりも早いが、そのかわり日が暮れたら眠くなる。


だいたい生物は、一部の夜行性を除き、朝型なので、知人は原始にちかいのかもしれないが、知人だって、一時期は夜型を余儀なくされていました。


夜は毎晩のように宴会があり、帰りは午前様。


これでは早起きのできようがなく、やむをえず夜型で暮らしていました。

会議閉幕後、ECのドクレルク委員(対外関係・通商政策担当)は、米国が譲歩の姿勢を示さなかったLと厳しい口調で米国を攻撃、ヤイタ来通商代表部(USTR)代表(当時)は「ECの態度は自分たちの利益のみを最優先させ、貿易面での国際協調を省みないものだ」と負けずに応酬、米・EC間の対立の根深さをうかがわせた。


なぜ、お互いに一歩も譲れないのでしょうか。


それは、農業問題が単に国際貿易の課題にとどまらず、薗の国内政策に密接に関係しているからです。


この国内農政の根幹をなしているのが、農産物輸出補助金、生産者補助を中、心とする各種の曲辰業保護。


ウルグアイ・ラウンドでの農業交渉は、単に関税引き下げなどによる曲辰業貿易畠化を目指すのではなく、補助金水準など各国の農業政策そのものを見直すのが特徴です。


曲箋保護削減については、89、90年に実施する短期的措置・空年以降の長期的措置の二つに分けて各国は交渉を進めてきました。

1988年12月12月9日、カナダのモントリオールで開かれていた関税貿易一般協定(ガット)ウルグアイ・ラウンド(新多角的貿易交渉)中間見直し閣僚会議の農業分野交渉は、会期延長によるぎりぎりの調整作業にもかかわらず、具体的な合意が一切得られないまま決裂、閉幕した。


この会議は、91年からの新しい自由貿易体制の枠組みづくりを協議する重要な会議。


十五項目に上る交渉分野のうち、サービス貿易、熱帯産品、関税引き下げなど十一分野では参加国の合意が成立したものの、懸案となっていた農業、繊維、知的所有権、セーフガード(緊急輸入制限)の四分野で歩み寄りが見られなかった。


特に最大の焦点となった農業では、貿易体制のあり方をめぐる米国、欧州共同体(EC)の意見対立が最後まで解けず、関係国は失望を大きくしました。

日米欧の問では日本の経済団体連合会、米国知的所有権委員会(IPC-1GE、デュポン、IBMなど13社で構成)、欧州産業連盟(UNICE11212カ国の産業・経営者団体が構成)の三者が話し合う民間三極会議があります。


ガットの政府間交渉に産業界の意見を反映させることを目的に共通の見解を提案しているが、ソフトウエア保護などをめぐって民間レベルでも対立は解けていない。


また、特許庁同士が意見を交換、特許政策の強調を目指す三極特許庁会議では特許制度をめぐるトラブルの解決に努力しています。

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